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深大寺 〈蔵〉プロジェクト

〈蔵〉と人びとの150年。〈蔵〉年表

1868年(慶応4年・明治元年)

三代目竹屋長四郎の妻・い勢によって、〈蔵〉が竣工する。
なお、長四郎はその27年前の1841年(天保12年)に既に亡くなっている。
当時は「竹長材木店」という木材問屋の蔵として使われた。

????年(明治?年)

瓦が常滑焼の上質な瓦に葺き替えられ、棟には熨斗瓦、鬼瓦が据えられる。

1923年(大正12年)

関東大震災発生。「浅草十二階(凌雲閣)」などが倒壊する中、〈蔵〉は残る。

1924年(大正13年)

鉄筋コンクリートによって土台が補強される。

民間での鉄筋コンクリートの採用例としてはかなり古い。

1931年(昭和6年)

所有者の橋本長四郎より淵川金属の銀次氏が借用(その後購入)。淵川金属事務所が設立される。

1945年(昭和20年)

太平洋戦争末期、東京大空襲。

下町の多くの建物が焼けたが、〈蔵〉はその分厚く頑丈な壁によって守られ、焼け残る。

中央左に見えるのが「竹屋長四郎の蔵」

1949年(昭和24年)

淵川金属事務所が再建される。蔵が補強される。

1997年(平成9年)

文化財保護審議会の調査によって歴史的建築としての価値が判明。

ボランティアによって修復される。

1998年(平成10年)

「ギャラリー・エフ」がオープン。

2021年(令和3年)

深大寺への移築が決まる。

2022年(令和4年)

再開発のため解体。

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